家祖 蜂須賀正勝(通称:小六)
大栄6年8(1526)~天正14年(1586)
尾張国海東郡蜂須賀村の出身。桶狭間の戦いで織田信長の家臣となり、その後 羽柴秀吉の家臣として播磨龍野5万3千石を拝領した。天正13年(1585)の四国征伐の戦功により、阿波国を与えられるが辞退し、代わりに嫡子家政が拝領した。遺体は大阪城に近い安住寺に葬られ、昭和46年(1971)に万年山に改葬された。また下助任町「興源寺」にも拝墓がある。
藩祖 蜂須賀家政
永禄元年(1558)~寛永15年(1638)
家祖正勝の長男。豊臣秀吉に仕え、天正13年(1585)阿波国を拝領した。徳島城を築城し領国支配を進めた。関ヶ原合戦で隠居したが、元和元年(1620)から孫の2代藩主忠英を補佐した。